1944年7月7日 サイパン島陥落 このことにより本土決戦に備えて軍部が動き出す。 7月18日 閣議で地下軍事施設建設を決定 @長野県松代に40,000u(皇居、大本営、政府機関用) A東京都淺川に37,000u(中島飛行機工場用) B群馬県藪塚に33,000u(中島飛行機工場用) C愛知県楽田に20,000u(三菱航空機工場用) D大阪府高槻に17,000u(中部軍司令部、川崎航空機工場用) E福岡県山家に12,000u(西部軍司令部用) Fその他全国に種々の用途で200箇所以上 ※大阪高槻はその後27,900uに拡張された。 また、高槻近辺では吹田市山田や茨木市中穂積の 丘陵にも貯蔵用のトンネルが作られた。 9月27日 中部軍により高槻成合の林野・農地接収 「今や定刻は国家存亡にかかわる緊迫した情勢下にある。この時に あたり軍は成合地区に軍施設を建造することを決定した。ついては、 この工事に従事する労務者の宿舎、資材を保管する倉庫などの用地 として、林野と農地を提供されたい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お前たちの持っている土地はもともと国家のものであり、お前たち はこれを預かっているにすぎない。この国家有事の時、国民総動員 ・減私報告の精神をもって、国のため、天皇陛下のため、土地を差 し出すことは当然であり、もとより意義のないものと思う。」 10月 中部軍が高槻成合にやって来て、山林が伐採される。 建設部隊100名が芥川小学校に駐屯。 宿舎・倉庫・事務所などが建てられる。 朝鮮人労働者が各地より成合へ集め始める。 11月 タチソトンネル工事開始 1945年1月19日 明石空襲 明石には日本に一台しかないといわれたドイツ製の工作機械があっ たことで疎開計画が急がれた。その疎開先のひとつがタチソへ来る ことになる。 2月 タチソ、川崎航空機工場への転用決まる。 「川崎航空機」は1943年の日本軍がガダルカナル島から撤退した年 に、高槻の「高槻絹糸」を買収しており、この「高槻工場」自体が すでに操業していたのか、またこの工場もタチソに移すつもりだっ たのかは不明。いずれにせよ、タチソを航空機工場として使うには 狭すぎるので、急遽設計が変更され、第一工場の16本のトンネルの うち9本が拡張された。 3月10日 第1回東京大空襲 東京の空襲は延べ5千機で122回にわたり、死者13万人。 3月13日 第1回大阪大空襲 大阪の空襲は50回で、死者1万3千人に達した。